ただの日記

ただの日常の垂れ流し

ただの日記 〜ビーズぶちまけ事件

3/21

その日事件は起こった・・

仕事から帰宅した夫が長女が使ったビーズの箱がきちんと片付けられてなかったことにイライラしてその箱をぶちまけたのだ。

ちらばるビーズ。唖然とする子どもたち・・

私の目の前でぶちまけられたのでさすがにカチンときて言い合いになってしまった。

「イライラするのはわかるけど、物を投げるのは良くない。ちゃんと片付けてほしいなら言葉で言え。そして投げたことを謝れ」と言うと「いやだ」と。

完全に意固地になっている。

前に喧嘩になったときは夫が私の悪気ない言葉に怒り、執拗に謝罪を求めてきた。なのに自分は何なんだよ!という思いがあり、私も同様に追い詰めた。

何よりこれに関しては絶対に間違っていない自信があった。絶対に泣き寝入りしたくない!

「物を投げてわからせるなんて心理的暴力だ!」という私に対して

「ちゃんと片付けてないあいつらが悪い、暴力も時には必要だ!」

などと反論してくる。

私も「心理的暴力だ!」なんて大層なことを言いたいわけではなくただただ「物を投げるな。投げてしまったんなら素直に謝れ」と言いたいだけなのに・・なんでこうなるんだよ・・。

お互い売り言葉に買い言葉になってしまい埒があかない。

プリプリしながらリビングに戻ったが(洗面所で言い合っていた)もちろんスッキリしない。

話が通じない相手と対峙するのは本当に精神がけずられる。それが同じ屋根の下に暮らす相手だと絶望的な気持ちになる。

どんよりした気持ちのまま夫の夕飯をつくっていると(これも腹がたつ!)風呂から上がった夫が寄ってきた。

なんだなんだと思っていたら「さっきはごめん。イライラして物にあたってしまった」と謝ってきた。

まさか謝ってくるとは思わなかったので不覚にも感動してしまった。

ちゃんと人の話を受け入れる余白があったんだと思うと嬉しくなった。

まだまだやっていける。

 

3/24

友人宅でのランチ会。持ち寄りとのことだったが用意をする暇がなかったのでトマトとキュウリとアボカドとミョウガを切ったものをごちゃまぜにして「サラダ」ということにして持っていった。

2人とも既婚子持ちなので自然と家族の話が多くなる。

そこで先日(3/21)起こったビーズぶちまけ事件を話してみたところ、1人は「それは嬉しいねー」と共感してくれたのだが、もう1人は「それ子どもの前で言い合ってたの?!」と言ってきた。

子どもの前での夫婦喧嘩がタブーであることは

知っている。

聞かれた瞬間は気まずくなってしまい「いやー少し離れたところでだけどね・・」と濁したのだが、その正論でぶん殴るような発言に数日経った今でもモヤモヤしている。

確かに子どもの前での喧嘩は良くないかもしれない。しかしビーズの箱をぶちまけた夫に、子どもの前だからといって何も言わずに粛々と片付けるなんて私にはできなかった。

むしろそんな姿こそみせたくなかった。

理不尽な言動や行動にはちゃんと怒っていい、反論していいという姿を見せたかった。

私の母は父がどんなに理不尽な行動をしても何も言わずに我慢する人だった。母の耐える姿を見るたびに胸が締め付けられ「なんとかしなければ」と自分を責めるようになった。

同時に「何で言い返さないんだ!」と母に苛立ってもいた。

私の子どもには、夫の理不尽な行動に怒ることで2人は対等であるというスタイルを示したかった。

「子どもの前で喧嘩はしない」のは正論ではあるけれどその正論が全ての人にあてはまるわけではない。そう肝に銘じて生きたい。